光を探して生きる

踵が痛い。

今日のために買った、一目惚れのローファー。

もっと履いて慣らしておけばよかった。

 

 

 

2026年6月8日

吉田仁人2nd EP「東京」発売日。

 

待ちに待ったこの日、でも日々さまざまなことに追われているうちに、あと○日で発売日、と考える暇もなく思ったよりあっという間に来てしまった。

 

昨日、「明日のために早く寝るぞ!」と思いながら結局だらだらとしてしまい、そろそろまずい!と思って動き始めたのが23:30。

日付が変わる頃には絶賛お風呂上がりドライヤー中で、絶対に新曲を最初にフルで聴くのは何かの片手間にしたくなくて、はやる気持ちを抑えながら髪を乾かして。

 

目を閉じて1周、歌詞を読みながら1周したら寝る!睡眠大事!

と思っていたのに、結局布団に入ったのは2時過ぎで、いつも通りの5時間睡眠になってしまった。

 

 

リリースパーティーに行けることになったら、大事な日だから半休じゃなくて丸一日有給にすると決めていて、

でもせっかく時間があるなら予定を詰め込みたくなってしまう性分で、役所と美容院に行く予定を立てた。

そしてその合間に「ロータリー」MVのロケ地めぐりを分刻みでスケジュールに入れ込んだ。どうしても吉田さんに関する行動をした特別な日にしたくて。

 

 

予定とは大抵崩れるものだと分かったつもりではいたが、

待たされるだろうと思っていた役所での用事は一瞬で終わり、代わりに今日の主要な移動手段である電車やバスは遅れてばかりだった。

 

小雨と曇りが交互に現れて、天気くらい大人しくいてくれよ、と思いつつ、ぴっかーんと晴れてもらうのも「東京」に似合うかと言われると違う気がしたのでまあ許す。

雲間から光が漏れるくらいがちょうどいい。

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必要以上に人目を気にする性質なので、ロケ地をめぐっている間に同じ目的の方と鉢合わせしてしまったら気まずいなと思っていたが、そんなこともなく無事すべてをまわり切った。

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最後に訪れた渋谷から会場へ向かう電車の中で、14000歩の疲れを足に感じながら、"東京"についてふと考えた。

 

 

私は関東生まれ関東育ち、実家暮らし。思い立てばすぐに東京へ出ることができる生活をしている、というか勤務地は東京なので思い立たずとも日々行かなければならない。

 

"東京"はすぐそこにあって、そこへ行くのにもそこから出るのにも何らエネルギーは必要としなくて。

だからこのEPの物語の主人公たちの"東京への思い"に共感できるかと言われると、私の中にあるのは共感ではない。

 

ただ、しようのない現実の中で、生きて、光を探して、見つけて、また見失って諦める。夜空に後悔を浮かべ、自由になりたいと願い、でも結局そんな勇気はなくて。それでもくだらないことを愛し、生きて。

それは、私だ。

 

 

ガラス越しに左から右へ流れていく東京の景色を眺めて、そう思った。

 

この足の痛みも、アスファルトで覆われた"東京"を踏み締めて生きる代償ですか?

そうだとしたら、私にも"東京"が特別になったかもしれない。

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好きな色が増えるということ

 

ガチでこんなはずではなかったのですが、

単刀直入に言うと、M!LK吉田仁人さんが私の好きなアイドルの一人になったということを認めることにしました。

(既に3人好きなアイドルいるからもうこれ以上好きなアイドル増やせないしそれどころかちょっとずつ縮小させていかないとそのうち破産する…と思ってたのに…こんなつもりでは………)

 

以下、私がどのように吉田仁人というアイドルにずぶずぶになっていくかを書いていくだけなので、ご興味のある方は読んでいただけると…。

 

あとまだメンバーをどう呼んでいくか定まっていないので、今回はとりあえず敬称略させていただいておりますが悪しからず。

 

 

 

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どこまでもまっさらでいい

 

「物語はいつも、まっさらから始まる」

 

一番最初に観劇したとき、この言葉は救いだ、初めての舞台観劇がMASSARAでよかったと心から思った。

 

 

 

というのも、私はかなり物語というものにとらわれていて、大学で物語について学んで大真面目に人生を物語として捉える意義を論証したりしているからである。(いかに人生が物語であるかという話もいずれブログに残しておきたくて…)

 

 

私もケイのように、自分がまっさらである(何者でもない)ことに悩んだことがあって、そのときは

「何者にもなれなくても、私たちはいつでも いくつでも 前に進める」

というメッセージに救われた。

 

 

MASSARAにも同じようなメッセージを感じた。

人生という物語はまっさらから始まる。

まっさらな服を着ていた6人も、最後にre:startを歌うとき色を持っていたし、お互いの色で染め合っていた。

要は捉え方次第なのだ。

いつだってまっさらになれるし、実は色を持っていたりするし、いつからだって始められる。明日があるから。

人はいつだって変わってゆける、そんな大胆なものじゃなくて、

病室のベッドの脇に彩りが増えていくようにささやかでも。

 

 

 

 

ところで、物語とは”語られる”ものだ。

「僕の物語は終わったのか、始まったばかりなのか」

そんなニュアンスのセリフがあった気がする。

しかし、その割にケイは自らの人生を語らない。

(ケイに限らず全体的に解釈が妄想になりそうなくらい登場人物のバックボーンなどがあまり語られないところはあるけれども…)

 

中でも印象的だったのは、RUNでケイが「信じた」と言わないことだ。

ケイがなぜここまで語らないのか。

たぶん、ケイは言葉で語らないだけであって、ケイにとって写真を撮ることが語ることだったんじゃないかと思った。

高校1年生の頃、5人に助けてもらったこと

高校2年生の頃、タカの一目惚れと失恋があったこと

高校3年生の頃、みんなで文化祭にバンドとして出たこと

高校卒業後、ダンの仕事場に行ったこと

全部ケイの人生で、ケイが形に残したもの。ケイが写真で語ったものなんじゃないかなという感じがした。

写真に物語があるから、ケイ自身が言葉で語らなくても、他の5人が写真をきっかけに語り出す。

 

最後、re:startの前、私の記憶が合っていれば、中心が丸くくり抜かれた黒いパネルの中に肩を組んだ6人が収まって終わっていた。

つまりカメラのレンズの中に6人がいたということで、まっさらの6人をケイが写真に収めた、語ったということでもある。

そう考えれば、(ケイ以外の5人による過去の独白の語り手はそのまま5人だと思うけど)大枠となる骨折をしたケイのお見舞いに他の5人が集まった1日を描いたMASSARAという物語の語り手はケイだったんだと思う。

そういう意味で、ケイは写真で語るだけじゃなく言葉でも語れるようになったんじゃないかな

 

あと、それまでは自分を被写体として写していなかったケイが最後の写真に写ったことは、ケイも物語の登場人物たり得る存在だと認識できたことを表しているんじゃないかと思ったりした。

骨折が、ただの事故じゃなかったとしたら、

ケイがカメラのレンズから落ちる演出は、写真によって語られる人生の登場人物にはなり得ないと思いつめていたことを表しているんじゃないか。

はっきりと自覚したわけじゃないにしろ、最後に撮った写真で今まで通り撮る側ではなく写る側にケイがいることは、5人と再会したことによるケイの変化ではあるはずだ。

そして、6人はまっさらの服のまま写真に写る。

まっさらでも、写真によって語られる人生の登場人物である。

 

どこまでも、まっさらであることを肯定する物語だ。

ケイはきっと、自分がいままっさらであるということを希望として”信じた”んじゃないか。私はそう思っていたい。

 

 

 

 

"まっさらを肯定する"っていうところでいうと気になったのは、タカがハルキに「丸く収まっていいのか?!」みたいに怒るところ。

観客は大半が普通の会社で普通に働いていて、そんなハルキに納得できないタカのセリフにうーんとなる方がいるのもわかるような気もする。

私も来年からは普通の会社で普通に働く予定で、だからこそそんな自分を肯定したくてそう思うのかもしれないけど、

タカが言いたいのは普通に働くことを否定することじゃなくて、ハルキがずっと他人軸で動いていたからなんじゃないか、人生を自分ごととして生きてないからなんじゃないかという気がした。

ダンとタカは身の回りの状況をきちんと受け止めた上で職についてるし、リョウタロウも自分のバンドをやりたいっていう思いを一度は発信して叶えた。

でも、ハルキはやりたいことに挑戦することなくリョウタロウを追って安定を選んだようにタカには見えたんだろう。

タカはハルキに、もっと自分のことちゃんと見つめて生きろよ、まっさらから、明日から、大きく変わることはできなくても、何者にもなれなくても、やりたいことはできるし、そういう可能性は持ってるんだよって伝えたかったんじゃないかなと思ったりした。

 

でもこんなこと思うのも、まだ私が学生だから思える綺麗事なのかな、

 

 

 

あとリョウタロウがスターになりたかったのにカズトに言われて文化祭でのバンドをあっさりじゃあやめようって言う理由、

エリコと別れたからなんじゃないかってタカに言われてたけど、本当はそうじゃなかったんじゃないかなと思う。(まあエリコに見せたい気持ちがまるっきりなかったとは思わないけど)

リョウタロウは純粋に憧れの舞台の上に立ちたかった、それでもあっさり諦めたような言動をとったのはリョウタロウの優しさなんだと思う。

だってチラシまで作って来てるし。本当はやりたいけど、誰かに何か言われたら受け入れちゃう。そこで真正面から反論はできない、弱さでもあり、優しさでもある。

そんなリョウタロウだから、大学卒業後はバンドやめて就職したんだろうし…

 

 

 

 

あと細々した感想としては

 

・嶺亜がハルキなのめっちゃわかる、嶺亜が嶺亜って名前じゃなかったとしたらハルキが一番しっくりくる。

 

・演出がめちゃくちゃ好き、演出が観てて楽しい舞台だなという感じがした。曲のストーリーへの入れ込み方も自然で浮いてなくてすごかった。

 

・コメディ要素のあるところがちゃんとおもしろくてよかった、笑いの感覚が合わないとコメディ見るのしんどくなっちゃうので…

 

・何者にもなれないとか、割と悩んだことのある人が多いんじゃないかな、普遍的なストーリーで余白があるからこそ、自分に当てはめて考えられたり、メッセージを感じやすくなっているんじゃないかという感じがした。

 

・ケイに色覚特性があるんじゃないか説、まあそうとも捉えられなくはないかなと思ったけど、でもどっちでもいいかなという気持ちに…だっていつだってまっさらだし…あえて余白になっている部分を全部埋める必要はないかなと…

 

・役がちゃんと役に見えて、というか、メンバー本人だなと思う瞬間がほとんどなくて、それぞれハルキ、タカ、カズト、ダン、リョウタロウ、ケイにずっと見えてたの、これまでに侍が各々舞台経験を積み重ねてきたからなんだろうなぁと。

 

・作品のメッセージが好きだし、初めての舞台観劇がMASSARAで本当に本当によかったと思ってるけど、それはそうとして全体的に語られなさすぎないですか…!それがケイの語りだとするならわからんでもないが!もうちょっと公演時間長くていいから関係性とか!背景とか!情報をください!あまりにも少ない!あえて少なくしてるところはあるんだろうけど!

 

・re:start曲が好きすぎる!!これは侍のオリ曲になるんですか…?舞台曲扱いですか…?

侍のオリ曲になってほしい〜ライブで歌って踊ってるところ見たい〜!ぜひフルで…!矢花くんの2番サビ前高音ソロパートが聞きたいので…!!

 

 

 

という感じですかね…!

 

 

春からずっと、対バン、エムオン、ホールツアー、舞台と続けてたくさんステージに立ってきて、その間にはYouTubeだったり雑誌取材だったり他のお仕事もあって、

その忙しさと大変さは想像するに難くないのに、どれも手を抜かず、

それどころか演出のSotaさんのブログの感じからするとおそらく侍たち自身がこのスケジュールでもやることを選択し、企画段階から意見を出し、

素敵な作品を作り上げて届けてくれたこと、本当にありがとうございます。

 

その体力と精神力、トンデモ根性グループだなと思うし、笑

きっとみんな表現とか創作が心から好きなんだろうなと思う。

じゃなきゃ曲も振り付けも作らないしバンドもやらないし舞台の企画に意見出したりしないよ

私は侍のそういうところがとっても好きだし、さらにいいものを届けようとしてくれるその気持ちに本当にありがとうの気持ちでいっぱいです。

 

 

 

 

お守りになる言葉を集めながら生きてるけれど、

 

「物語はいつもまっさらから始まる」

 

この言葉に出会えて本当に良かった!

 

 

 

Make 侍 Noiseの演出を理論で読み解いて(?)みる

2023年春、どういうわけか7 MEN 侍の沼に落っこちまして、

新規ハイのテンションのまま、勢いと行動せずに後悔したくないという気持ちで情報局に入り、ライブに申し込み、無事初7 MEN 侍を浴びてきました。

 

Make 侍 Noise、最高でした。

 

いろいろ理由を挙げていかにこのライブが素晴らしかったかを述べることはできるけれど、

何よりライブの中で、無意識のうちにテンションが上がって、声を出すのが楽しくなっていたことがすべてだなぁと思います。(コロナ前から大声を出すことに抵抗があるタイプだったので尚更)

 

 

 

なのですが、ここでは敢えてMake 侍 Noiseと7 MEN 侍の素晴らしさをゴリゴリの理論を使って証明してやろうと思います。

 

そのきっかけは、ゆゆさんのこちらのブログ。

suki-zakki.hatenablog.com

とても素敵なブログなのでぜひ。

そして今回私がこのブログを書くにあたって引用させていただいてもいいか伺ったら快く許可してくださったゆゆさんほんとうにありがとうございます…

 

 

 

 

さて、本題。

 

実は(?)普段大学で批評理論を学んでいるのですが、

そこで扱っている批評理論がMake 侍 Noiseのコンセプトひいては7 MEN 侍のグループとしての在り方にぴったり合うのではないかと、ゆゆさんのブログを拝読して気づきまして。

 

今回はその批評理論を使って分析していこうと思います。

 

使う批評理論は、「脱構築」と「オリエンタリズム」です。

 

 

ここから先しばらく理論の話になるので読んでくださっている方はなんのこっちゃという感じになりそうですが、

理論の中身を知らないと何も伝わらないと思うので、

たかが大学生の知識ですが温かい目で、しばしお付き合いいただければ幸いです。

 

 

 

 

まず、脱構築について。

 

脱構築とは、哲学者のジャック・デリダが立ち上げた概念です。

 

脱構築の背景には、構造主義があるのですが、それについて書いていると長くなってしまうので、

文字通り物事には潜在的に構造があると捉える考え方だと思っていてもらえれば大丈夫です。

 

構造主義の中で最もわかりやすいのが二項対立。「A⇔B」というような、二つのものが対立している、また反対の要素を持っている構造のことです。

例えば、「男⇔女」も二項対立として挙げられます。

 

 

この二項対立という構造を壊すのが、フランスの哲学者であるジャック・デリダが立ち上げた脱構築です。

 

デリダ脱構築の対象としているのは、優劣関係のある二項対立です。

そして、二項対立を構成する二つのものの中から、共通する要素を取り出すことで対立構造をなし崩しにします。

この「優劣関係のある二項対立をなし崩しにすること」を脱構築と言います。

 

なぜ共通する要素を取り出すと構造を崩すことができるのかということを、先ほど挙げた「男⇔女」の例を使って説明します。

 

昨今はこういった考え方はなくなりつつあると思いますが、

男性=論理的

女性=感情的

といったイデオロギーがあるとします。

そして、このイデオロギーには、「男性は論理的判断ができるから優れている」「女性は感情的で論理的判断ができないから劣っている」という優劣関係がなんとなく感じられますよね。

 

しかし、当たり前ですが、感情的な男性もいれば論理的な女性もいます。

つまり、“論理的”という要素も、“感情的”という要素も、性別に関係なく共通する要素というわけです。

 

こうなってしまえば、「男⇔女」という対立関係は崩すことができます。

なぜなら、二項対立は「片方が持つ要素をもう片方は持っていない」ということを前提にしている関係だからです。

“論理的”という要素は男性も女性も持っているし、“感情的”という要素も男女問わず持っています。

じゃあ同じ要素を持っているなら男女って分けられなくない?男性の方が優位だと思われてきたけどそんなことないよね?という具合です。

 

 

 

次に、オリエンタリズムについて。

 

オリエンタリズムは、単に「東洋的」「東洋主義」という意味でも使いますが、

ここではアメリカの批評理論家であるエドワード・サイードが『オリエンタリズム』という本で定義づけた考え方を扱います。

 

オリエンタリズムの考え方では、「西洋は自らの野蛮な側面を東洋に押し付けることで、西洋の理性的な文化を成り立たせている」とされています。

つまり、「西洋⇔東洋」という「西洋の方が優れている二項対立」を成り立たせるために、西洋は自らの劣った側面を東洋に押し付けているのです。

 

さらに、東洋もこの構造を内面化して「西洋の方が優れている」と感じ、

「劣った側面をなくして西洋に早く近づかなければ」と考えたり、反対に「押し付けられた役割を文化として売り出していこう」とする現実もあります。

 

 

少し余談ですが、オリエンタリズム脱構築することができます。

 

「西洋が二項対立を成り立たせるために劣った側面を押し付けた」ということは、

「もともと西洋にも劣った側面があった」ということでもありますよね。

 

つまり、ここでも二項対立を構成する二つのものに共通する要素があると言えます。

西洋にも東洋にも劣った側面という要素はあるということです。

 

それなら、「西洋⇔東洋」という二項対立は崩すことができますよね、西洋の方が優れているという価値観も成立しないことになるわけです。

 

 

 

 

 

理論の説明はここまで!

 

というわけで、これらの理論がMake 侍 Noiseと7 MEN 侍にどう当てはまるのかという話を(やっと)していきます。

 

 

 

Make 侍 Noiseの中で、JAPONICA STYLEの演出は印象的だったと思います。

 

私はネタバレ歓迎するタイプなので、初日にがっつりレポを読み、JAPONICA STYLEを最後の晩餐スタイルでやったことを知り衝撃を受けました。

和のイメージがある曲なのに和服衣装を着たり扇子を持ったりせず、スーツで長いテーブルの前でやるんだ、と。

 

 

個人的初日は運良くアリーナ席通路側で矢花くんにハイタッチしていただいたことでかなり頭の処理能力が落ちていた、かつ後ろの方だったのでステージが少し見にくかったということもあり、

正直あまりジャポニカの記憶がなく、テーブルを乗り越えるって脱構築っぽいなぁとなんとなく思っていただけだったのですが

 

ゆゆさんのブログを拝読し、その発想にハッとさせられました。

以下、ゆゆさんのブログから引用させていただきます。

 

和に対しての異端さをスーツにグラスという独特な選択でまずは最初に表現して、その境界線(テーブル)を乗り越えた先で、和の表現の王道である桜吹雪の中で個性(スーツ姿)を失わずにパフォーマンスするのが侍。

↑この文の「和」の部分を「ジャニーズ」や「アイドル」に変えると、なんとなくこのライブで侍がやりたかったこと、大光くんが表現したかったことが見えてくるような。

Make 侍 Noise感想 - 好きな人やものが多すぎて。

 

噛み砕くと、「和⇔洋」とアイドルとしての「王道⇔異端」を重ね合わせて、

7 MEN 侍は“異端”でありながら“王道”のパフォーマンスもする、自分たちは「アイドル」だと示す表現だったんじゃないか

ということだと思います。

 

 

この演出、結構脱構築的だと思うんです。

 

「和⇔洋」という二項対立があって

和のイメージのある曲=和服衣装

それ以外の曲=洋服衣装

というイメージがあるので、和のイメージのある曲を洋服衣装でやってしまえば、この二項対立は崩されます。

 

まぁ現実的には着替えの都合とかで和のイメージのある曲を洋装でやることもそこそこあるでしょう。

でも、Make 侍 NoiseでのJAPONICA STYLEは、灯篭があったり桜吹雪が舞ったり、きちんと和の演出があった上で、洋装で踊る。

 

しかもそれが、和と洋の融合ではないと感じられるのです。単なる和洋折衷じゃない。

なぜなら、境界線であるテーブルを乗り越えるという演出があるから。

 

二つの要素の境界線を越えるなんて、まさに二項対立を崩す脱構築っぽくないですか?

 

 

 

続いて、7 MEN 侍のグループとしてのイメージについての部分も引用させていただきます。

 

これまで侍は「アイドルらしくないグループ」として扱われてきたと思う。

7 MEN 侍は異端児、反骨精神みたいなのがグループのイメージだった。これ、なんとなくバンドをやっているからだと思い込んできたけど、今考えればバンドが理由では無かったなと思う。だってAぇだって忍者だってバンドやるし……

そういう曲ばっかり貰ってたことから考えても、そういう役割を与えられていたからそう思ってた部分はあるだろうなと思った。

それって、めちゃくちゃ相対評価だったような気がする。ジャニアイみたいな場に立ったらそうなるのも仕方ないんだけど、美と比べたら、Hiと比べたら、侍はこう。みたいな。

そうやって、Hiと美の守備範囲を避けた先に侍に「個性」として与えられたダークさだったり逆境魂みたいなものって、もちろん素晴らしい個性には違いないし、私はそれがかなり好きだけど、見方によっては凄くHi美ありきのような気がする。

Hi美と同じことをやるグループじゃいけない。だから、Hi美のやらないことをやるグループでいなきゃいけない。自分たちにしかないカラーを。

そういう意識は少なからずあったと思う。

Make 侍 Noise感想 - 好きな人やものが多すぎて。

 

これ、まさにオリエンタリズムじゃないですか??

 

西洋がいらない役割を東洋に押し付けることで「西洋⇔東洋」の二項対立を成り立たせていた と説明しましたが、

「西洋⇔東洋」を「Hi美⇔侍」に当てはめるとまさに同じ構造になっていたんじゃないかと思います。

 

もちろん「Hi美⇔侍」の関係において、本人たちの間にいらない役割を押し付けるとかそういった強い力関係や優劣があったとは思わないですが、

オリ曲で煤けた雨を飲むような曲ばかりもらっていたというのは、大人たちが侍はそういうイメージで売っていこうと考えていたからだと思うし、

どちらを好むかはそれぞれの価値観ではありますが、「王道⇔異端」は言い換えれば「正統⇔正統じゃない」「アイドルっぽい⇔アイドルっぽくない」ということでもあり、“異端”の側に否定形が入る以上、“王道”は優、“異端”は劣というイメージがないとは言えないと思います。

 

そして、この構造を内面化し、“異端”を個性として売り出してきた。

 

これが今までの7 MEN 侍のグループとしての姿だったんじゃないかと思います。

 

 

 

でも、理論の部分で説明したように、この構造は簡単に崩せるんです。

7 MEN 侍は“異端”という役割を与えられていただけであって、“王道”の要素も持っていると示すことができれば脱構築できるからです。

 

 

それをやってのけたのがMake 侍 Noiseだったんじゃないでしょうか。

 

侍といえば“バンド”“ロック”というイメージのところ、バンドは最後の4曲だけ、ダンスもかわいい曲もおふざけコーナーもやる。

そして、JAPONICA STYLE。“和”と“洋”の境界を曖昧にする演出には、

“王道”と“異端”の境界を曖昧にする、侍は“王道”も“異端”もできる変幻自在なグループだ

と見せつける意志があったんじゃないかと感じられるのです。

 

 

 

脱構築って、救いになるんです。

優劣関係なんてなくなって、決められた役割を担う必要もなくなって、自由になれる考え方なんです。

 

 

だから、7 MEN 侍が縛られていた構造から自由になって、さらに大きくなっていくんだと思うと、これから先どんな姿を見せてくれるのかなぁとすごくわくわくする。

そんな素敵なアイドルに出会えて最高にしあわせ!!という気持ちです。

 

 

 

少し話は脱線しましたが、まとめると、

Make 侍 Noiseというライブは、7 MEN 侍が「王道⇔異端」という二項対立の構造から自由になることを表現するライブだったんじゃないかと解釈できる

、と思います!

 

 

 

 

 

…とまあ、勝手に理論に当てはめて勝手に解釈してきましたが、

実際どんな意図でこのライブを作り上げたのかはわからないわけで。

 

 

でも、嶺亜さんも

バンドというイメージがありますけど、バンドもダンスもやりますし、変幻自在の柔軟さというのを武器にしていきたい。その時に面白いと思ったものを作って行って“7 MEN 侍のライブって変化があって面白いよね”という変化を恐れないことを強みにしていきたい*1

と言っていることですし、

 

7 MEN 侍が変幻自在さを武器に、これから先色々なステージで色々なパフォーマンスを見せてくれる

ということは確実に信じられると思っています。

 

 

でもまずは、ほんとにこの夏ハードスケジュールだったと思うのでゆっくり休める時間があるといいなと思います。

矢花くんも休み欲しいって言ってたし、ね

 

7 MEN 侍本当にお疲れさま!!

最高の夏をありがとう!!!

 

 

ということで、今回はおしまいにしようと思います。

よくわからん批評理論を耐え抜きここまで読んでくださった方ありがとうございました!

流されない強さと夢

 

わっしょい配信のシャウトと矢花くんの新しいプロフィールが最高すぎて泣いたという話がしたいのだが、どうにも140字に収まりきらなそうなのでブログに書き起こそうと思う。


というか本当は先に矢花くん沼落ち経緯をちゃんと文章化したいけど、気持ちが新鮮なうちにこちらを。

 

 

 

 


いや〜〜〜シャウト素晴らしくなかったですか?!?!


って誰彼構わず触れ回りたい。

 

 


7 MEN 侍、3曲目のオリジナル曲のシャウト。


発表当時、私は7 MEN 侍について知らなかったのですごく思い入れがあるわけではないし、
バンドは好きだけど、バンド曲に限らず音楽全般BPM速い曲が好きなので、
正直楽曲としてはそこまで「すごく好き!!」という感じではなかった。

 


なかったんですよ、なかったんですが…


予想外の引力で7 MEN 侍の世界に惹き込まれた


そんな感じがする。

 

 


1曲前の少年忍者のJourney Must Go Onが終わり、カメラがメンステを映す。
煙が立ちこみ、各々が音出しをする。
何かを確認したのか小さく「OK」と呟く嶺亜。
静まる音たち。
空を突き刺すスティックに視線を奪われたのも束の間、2つのカウントで始まるシャウト。

 


もうここまでで、景色が "ジャニーズJr.合同ライブ" から完全に "7 MEN 侍のステージ" になり変わっていて、

心が自ずと正面を向く感覚がした。

 

音が鳴っていることが当たり前のコンサートにおいて、静寂は特別だと思う。

静寂という空白にどんな意味があるのかは観客に委ねられていて

そんな不自由さの中、7 MEN 侍はその空白を手に取り、ステージへの導火線に仕立て上げたような

 

 

演奏が始まれば、メンバーそれぞれの音が、自分の居場所はここだと言わんばかりに、揺るがない強さがあって

7 MEN 侍がバンドとしてやってきた自負がそこにあったと思う。

 

最後には矢花くんのシャウトとこんぴのフェイクが残っていたのが、決意と一筋の自由の象徴のようで、神秘的ですらあった。

 

 

 

 

これは後から知ったことだが、嶺亜さんがわっしょいCAMPの囲み取材で

自分たちの空間に引き込む強さが僕たちの強さかなと思っているので、今後も磨きたいです*1

と言っていたらしい。

Make 侍 Noiseの囲み取材でも

変幻自在の柔軟さというのを武器にしていきたい。*2

と言っていたそうだが、自分たちの武器を理解して発揮できるグループはこんなにも強いのかと、

まんまと術中に嵌ってしまったなと思う。

 

 

 

 

配信当日は、用事がありちょうどシャウトが終わったあたりで家を出なければならなかったので、

シャウトの余韻に浸りながらガビガビの配信をところどころ見つつ移動し、用事を済ませ、

 

どこかデビュー発表したかな……

 

と戦々恐々とした気持ちでTwitterを開いたら、

ジャニーズJr.公式HPができていた。

 

 

なぜ?とは思いつつ、アー写とプロフィールが変わったらしいと知り真っ先に見に行った。

 

 

 

アー写のれいちゃんめっちゃ爽やかさんでかわいい〜!腰位置高い〜!入所日明記されるようになったのね!趣味としては音楽制作より楽器改造の方が先に来るのか、ふむ、

とか思いながらスクロールして読んでいたら

 

 

 

将来の夢

日本を代表する音楽家になる

 

 

 

なんていう文言が目に入って、電車の中でうっかり声を上げるところだった。

この文言が表す意味を、焦る頭でゆっくり理解して、嬉しくて泣きそうになった。

 

 

 

どうしてこの1行で私の情緒がこんなにめちゃくちゃになっているかというと、私が星野源さんのファンでもあるという要素が大いに関係する。

 

 

源さんは、楽曲に関して基本的に作詞・作曲・編曲・歌唱、時には楽器演奏、MVの監督を務めることもある。

 

創り出す楽曲の全体のプロデュースを行なっているし、歌が楽曲の中心なわけではないため、肩書きは "歌手" でも "シンガーソングライター" でもなく "音楽家" なのだ

と源さんがラジオで言っていた記憶がある。(正確には覚えていないので理由はニュアンスだが、"音楽家" という肩書きを意図的に使っているのは確実)

 

 

つまり、私の中で

 

楽家=0から100まで全ての工程に関わって音楽を創り出す人

 

というイメージがあるのだ。

 

 

 

 

プロフィールの更新にあたって、矢花くんが将来の夢を "ベーシスト・クリエイター" から "音楽家" に変えたところに、実際どんな意図があったのかは推し量ることしかできないけれど、

ベースに限らず音楽全般を創り出す人でありたいのかな

と私は感じた。

 

 

 

そんな存在を、矢花くんが将来の夢に掲げていてくれるということは、

 

矢花くんの創り出す音楽の世界をこれからも感じていけるんだろうな、そんな時間ができるだけ長く続いたら、

そしていつの日か矢花くんが "日本を代表する音楽家" になる時を一緒に迎えられたらいいな

 

と思って感動したわけです。

 

 

 

 

いざ文章にしてみたら激重感情すぎて自分でもびっくりなんですが笑、

まあこんな感じかな、

 

とはいえ、音楽家になってくれさえすればいいと思っているわけではなく、矢花くんには7 MEN 侍でアイドルとしてデビューした上で日本を代表する音楽家になってほしい強欲なおたくなので、個人の気持ちを押し付けてごめんだけど、

わざわざ夢として言わなくても、矢花くんもそう思ってくれていたらいいなぁと思っています。

 

 

 

でもやっぱり矢花くんが幸せでいられたら、そしてそれを少しこちらにお裾分けしてくれていたらなんでもいいかな

 

 

 

という感じです!思いの外2000字も書いてしまったのでおしまい!

お誕生日を迎えた知念さん のおはなし

私はお誕生日公演に行けたわけではないので、レポを読んだだけなのですが
 
知念さんが「大好きなみなさん(メンバー)に祝ってもらって…」と
 
お誕生日サプライズの後の抱負で言ったそうです
 
 
 
 
この言葉がすごく心の琴線に触れて
 
それは、知念さんがアイドルとしての自分を好きでいてくれてるんだなって改めて思えたからなんです。‬
 
 
 
 
 
‪アイドルでいることで、やりたいことができなかったり、すると思います
 
でも、知念さんはよく「自分のことが大好きだ」と言います
 
 
 
知念さんの言葉を信じていないわけではないですが、
 
もしかすると、自分に自信がないからこその裏返しだったりするんじゃないかなって少し思うんです。
 
 
 
 
‪必ずしも
 
"メンバーのことが大好き"
 
 
"アイドルとしての仕事が好き"
 
必ずしも=ではないかもしれないけど、
≠でもないと思います‬
 
 
 
 
 
 
 
‪だから、知念さんが
 
「大好きなメンバーと仕事ができて楽しい」
 
とか
 
「アイドルやっててよかった」
 
って、本当に心から思ってくれているんじゃないかって。‬
 
 
 
 
 
‪そう思ってくれているなら、これ以上の幸せはないです。‬
 
 
 
 
 
‪「アイドルをやっている知念さんが好き」
 
という私の気持ちと、
 
「アイドルをやっている自分が好き」
 
という知念さんの気持ちが一致するんです。
 
 
 
実質両思いのようなものじゃないですか?‬
 
 
 
そんな気持ちを噛み締めつつ一日を終えられたことで幸せがいっぱいです
 
 
 
 
 
 
 
 
知念さん、26歳のお誕生日おめでとうございました。
 
 
 
愛をこめて。
 
 
 
 
<あとがきのようなもの>
 
勢いで書き上げました。
 
私の中で通用する論理ばかりで文章がぐちゃぐちゃでうまくまとまってなくてすみません
 
今、この心に抱いたこの気持ちを、大好きを、言葉にしなきゃ 残さなきゃ と思ったので…
 
 
お読みいただきありがとうございました。
 
 
 
 
ではまた。

星がよく見えますね

 

 

………、はじめ方がわからないです。

こんばんは。

 

 

 

ツイッターでお世話になっているみなさま、いつもありがとうございます

 

そうではない方、はじめまして

 

 

 

 

ろめ と申します

 

 

 

 


やってみたいとずっと思っていたはてなブログ、始めてみました。

 

 

 

 

 


こちらでは主にHey!Say!JUMPのことを書こうと思っていますが、話が逸れたり、ただの自分語りになってしまったり…

 

 

そんなブログでもいいよーという方は読んでくださると嬉しいです

 

 

 

 

 


まあ初回なのでね、

私が知念さん及びHey!Say!JUMPにハマったきっかけのおはなしをしようと思います

 

 

 

 

 

 

 


それは、私が小学生の時のこと。

私は何人かの友達と交換ノートをしていて

 

 


ある日、友達のうちの一人が「Hey!Say!JUMPの山田くんのファンになった!」というようなことを書いておりました

 

 

 

 

 

 

当時の私が知っているHey!Say!JUMPに関する情報は

たまに見ていたスクール革命と、ちゃおで連載されていた漫画くらいだったでしょうか

 

 

 

Hey!Say!JUMPの中で だったら知念くんが好きかなぁ  なんてぼんやりと思いつつ。

 

 

 


ですが、そんなふわふわした私の気持ちに反し

 

山田担の友達はもう一人の友達を知念担に仕立て上げ、

 

毎日学校でCome On A My Houseを歌い踊り、

 

「いいのー?おっけい!」を度々使い、

 

 

私の脳内にHey!Say!JUMPというものを刷り込んでいきました。

 

 

 

 

 

その時、私は小学校の上に中学、高校、と繋がっているエスカレーター式の学校に通っていたのですが、

 

まあ色々あり… 中学受験をし、別の中学に進みました。

 

 

 

 

 

つまり、私にHey!Say!JUMPを刷り込んだ友達は近くにいなくなってしまったのです

 

 

 


そうなった途端に私の頭の中からHey!Say!JUMPはすっかり抜け落ちてしまいました

 

 

 

 

それから数ヶ月後、なぜか急に思いつきました

 

 

 

(自分のスマホ持ってるんだからHey!Say!JUMPのこと調べられるじゃん!!)

 

 

 

 

どうしてその時、Hey!Say!JUMPを思い出し、調べようと思ったのか。

 

今になっても謎のままです

 

 

 

 

 

それからはプロフィールやエピソードなどを調べに調べ、

 

ツイッターアメブロはてブロを読み漁り

(今フォローしている方の中にSafariからツイッターに入っていたその時から拝見している方もいらっしゃるのです…)

 

 

ある動画にたどり着きました。

 

 

 

 

 

 

 

 


それは、smartのコンサート映像。

 

 

今思うと、それは存在してはいけないし、見てしまった自分もダメだなぁと思うのですが、

当時の私はそんなことを考えもせずに何度も見てしまいました

 

 

 

 

そこで私の目に留まったのは、

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

やはり知念さんでした。

 

 

 

 

 

 

 

どの曲の動画を見ても、無意識に目が追う先にはいつも知念さんがいました

 

 

 

 

 

 

 


コンサートの最初に歌われたReady Go。

 

最初のソロパートで、知念さんは

 

「よこはま!会いたかったよー!」と。

 

 

 

どうしてだか、私に向けて言ってくれたような気がしました

 

 

 

 

知念さんの言葉は、

 

「よこはま (アリーナに来てくれたみんな) !会いたかったよー!」

 

という意味であることは十分に理解しています。

 

でも、嬉しかった。

 

 

 

 

 

一度知念さんから離れた私に

 

"会いたかった"

 

と言ってくれたように、心が弱っていた私は感じたのかもしれません

 

 

 

 

 

 

そして、今度のMステにHey!Say!JUMPが出演することを知りました。

 

 

 

今まで芸能人のファンになった経験はなく、アイドルが好きだと公言することに少しばかり恥ずかしさがあり、まだ家族や友達にHey!Say!JUMPが好きだと言えていなかったので

録画もせずにリアルタイムでHey!Say!JUMPが出るのを、

 

興味はないけどなんとなくテレビを見ている

 

 

ように見せかけて、

 

内心は (早くHey!Say!JUMP出てくださいお願いします母に「テレビ見てないで宿題やりなさい」と言われる前に!) とめちゃくちゃ焦りながら

 

今か今かと待っていました。

 

 

 

 

 


そして、ついにHey!Say!JUMPがテレビ画面に現れました。

 

 

そこで披露されたのは、Come On A My House。

 

いわゆる知念ロードなるものを笑顔で進んでくる知念さんを見てしまった私は、

 

 

 

 

 

 

 

 

 

知念侑李というアイドルにおちていきました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

一人の人におちるのに、こんなにたくさんのきっかけがあるなんて、相当腰が重い人だなぁと思います。

 

 

きっと、心を揺さぶられることに抵抗があったんだと思います。

 

 

 

 

 

 

でもそんな私を変えたHey!Say!JUMP、知念侑李さん。

 

君たちすごいです。

 

(何様) (『何様』っていう本ありますよね、私朝井リョウさんの本好きなんです) (読もうと思ってまだ読めていないのですが) (盛大な脱線失礼いたしました)

 

 

 

 

 

 

 

世の中には永遠なんてないことくらいわかっています。

 

 

でも!

 

Hey!Say!JUMPのことは!!

 

知念さんのことは!!!

 

 

 

 

ずーっと好きでいたいんです

 

 

 

 

 

 

 

 


だから、言わせて。

 

今、この瞬間はずっと好きです。

 

そしてこの瞬間は、いつか終わるかもしれないけれど、終わるまでずっと続きます

 

 

 

 

 

きっと

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

<あとがきのようなもの>


私、おもしろく話すことがとても苦手なのでつまらないブログだったのではないでしょうか

 

 

ここまで読んでくださった方、本当にありがとうございます!

 

 

 


……、さて、締め方もわかりません どうしましょう

 

 

私の好きなちねぺの終わり方で締めようかな

 

 


では。

 

 

 

 


じゃあの〜